top of page

けだものけもの

まっくらな森のなかで枝葉のあいだからもれだす光をやどしながら、ページをめくる音を聞いている。かわいた音が妙に胸に響くから、いつだったかシャロンが言っていた懐かしいという言葉のなかみを知ることができたような、気がするんだ。ふと、隣に目をやると、ベルベットの黒に身をあずけていたおんなのこはこちらを見てにっこりしている。
夜の色だね、ってシャロンは笑うけれど、夜ってどんなものなんだろう、まだわからないんだ。シャロンに言わせると、この身体は夜に似ているらしい。ふぅんとひとつ、相槌をうって、まぶたを閉じてみた。頭のなかに宇宙があるよってシャロンは言っていたんだけどなあ、夜と宇宙の違いって、なんだろう……。
こどもじみた疑問符をころがすと、シャロンはそれを拾い上げて優しい顔をする。それはね、それは、これは、あれは。ひとつひとつを小さな指先にのせながら、なにも知らないこのけだものに教えてくれる。夜はまっくらで宇宙もまっくらなら、まぶたのしたには何があるの。星になった人がゆくのは、どこ。
でも今は、少しウェーブのかかった髪を耳にかけて、シャロンはそうだねと曖昧な言葉を言うだけだった。なにがとは訊けなかったし、訊く気もおきなくて、自分のものである大きな爪をじっとみていた。なんだって教えてくれるシャロンは、ときどき、なんだって教えてくれなくなる。森の奥をひたすらさぐるように見て、ためいきをつく。それは、シャロンの目が光の届かないところに行ってしまった合図だった。どこか遠くになにかを探すシャロンは、確かに幼さをてのひらのなかに隠し持っていて、それを手放そうとしては諦めているようだ。少なくとも、なにも知らない私には、そう見える。
なにを抱いてるの、その腹のなかみは、なに?おんなのこは、なにも答えずに、口の端を不器用にゆがませた。

(腹のなかみを知らずとも、色ならわかる。でも、それだけわかっても意味はないんだね)

「死ぬって、なに」

喉の奥からそっと疑問をつぶやくと、シャロンは少しびくりとまぶたをひきつらせて、上下はりついたくちびるを引き剥がした。まつげが小刻みに揺れて、もしも私がいろんなことを知っていたら、その時こんなシャロンを見たなら、なんて気持ちになるんだろう。

「生きものが、ただのものになることよ」
「ただのものって、生きていないのかな」

ただのものって言うけれど、君があんなに大切にしていたテディ・ベアも、ページの端がぼろぼろになるまで読んでいた絵本も、貴方、まるで生きているように手にしていたよ。それはただのものじゃあないのか、誰かが買ってくれたから、誰かが読んでくれたからって、なにが変わるのかな。

「形見って、生き物の残りかすよ。まるで」

そのなかにきっと、だれかの死がつまっているんだとしたら、それってすごく。

(死ぬって、不思議なことだ)

シャロンがいつも大事に着ているその柔らかな黒い布のお洋服は、いのちをなくしたものに対して悲しんでいることの表明としてのカテゴリなんだっていうのは知っていた。そんなの、語らなくてもわかるのに、どうして着るのだろう。何に怯えているのか、悲しいことを忘れるのは、そんなにいけないこと?
悲しみを知らないけだものには、まだ、貴方のはらわたの苦さを知ることはできないね。

(たとえば君が星になったら、夜みたいな自分の身体を、君の真似をしてつややかな生地に隠したいと思うのかな、私は)

bottom of page